前職にいた頃、静岡県の70代の奥様からお電話をいただいたことがあります。声が少し震えていて、最初は何があったのか分かりませんでした。
お話を伺うと、ご主人が若い頃から育ててきた松の盆栽の鉢が、足場を組む日に割れてしまったそうなんです。見積もりのとき、営業の方は「お庭の物はこちらで動かしますので大丈夫ですよ」とおっしゃっていた。それで奥様は安心して、何も手をつけずに当日を迎えられました。
実際に来たのは足場屋さんで、営業さんとは別の会社の方。そこまで話が伝わっていなかったんですよね。重い鉢をまとめて端に寄せたときに、ひとつが転がってしまったようでした。
業者さんは謝ってくださったそうです。それでも、ご主人が何十年もかけて育ててきたものは、お金では戻りません。「私が先に動かしておけばよかった」と何度もおっしゃっていたのを、今でも覚えています。
いざ工事となると、外壁から1メートルほどの範囲には足場が立ちます。職人さんが行き来する通路にもなります。
鉢植え、プランター、自転車、子どもの三輪車、物干し台、灯油のポリタンク、エアコン室外機のそばに置いた園芸用品。普段は気にも留めない物が、壁際にはびっくりするくらい並んでいるものなんです。業界に20年いますが、現地調査の写真を見て「ここにこんなに物があったのか」とお客様ご本人が驚かれる場面を何度も見てきました。
見落としがちなのが、壁にくっつけて置いた物置です。物置そのものを動かすのか、裏側だけ塗らずに済ませるのか、中身を一度出す必要があるのか。ここを決めないまま着工して、当日に「中身を出していただけますか」と言われ、慌てて休みを取ったご家族もいらっしゃいました。
私がお伝えしたいのは、片付けを全部ご自身でやってくださいということではありません。高齢のご夫婦に重い鉢を何十個も運んでいただくのは、それはそれで危ないですから。
大切なのは「誰が、いつ、どこまで」を契約前に言葉にしておくことなんです。たとえば、割れたら困る物や思い入れのある物はご家族で先に避けておく。重くて動かせない物は業者さんにお願いして、置き場所も一緒に決めておく。物置や大きな物を動かす作業が見積もりに入っているのか、別料金なのかも確認しておくと安心です。
できれば、その内容を見積書の備考や打ち合わせのメモに残してもらってください。冒頭の奥様のように、話した相手と当日来る人が違うのは珍しいことではありません。紙に残っていれば、足場屋さんにも職人さんにも同じ内容が伝わります。
あとは片付ける前に、家のまわりをスマートフォンでぐるっと撮っておくこと。これは物の置き場所を元に戻すときにも役立ちますし、何かあったときの記録にもなります。
意外と話題にならないのが、工事が終わったあとのことです。
足場が外れて職人さんが引き上げたあと、庭の隅にまとめた鉢植えやご近所の塀際に寄せた自転車が、そのままになっていることがあります。お客様の側からは「戻してくれるものだと思っていた」、業者さんの側からは「そこまでは聞いていない」。どちらも悪気はないのに、最後の最後で気持ちがすれ違ってしまうんですよね。
動かすときに一緒に決めておけば、戻すときも迷いません。ほんの数分の確認で、工事全体の印象が変わると思っています。