前職で外壁塗装の窓口をしていた頃、神奈川県にお住まいの六十代の奥様からお電話をいただきました。「三社に来てもらったんですが、どれが良いのか全然分からないんです」と、少し疲れたお声でした。
お話を伺うと、一社は「とにかく長持ちを」と高めの塗料を勧め、もう一社は「今回は最低限で十分です」と安い案を出し、残りの一社は屋根まで含めた大きな提案をしていたそうです。金額は倍近く違っていました。
それぞれの業者が悪かったわけではないんですよね。奥様が何を大事にしたいのか、どの業者にもはっきり伝わっていなかった。だから各社が「たぶんこうだろう」と想像して、別々の家の話をしてしまったのです。
現地調査の時間は、長くても一時間ほどです。その短い時間で、業者は壁の傷み具合を見て、寸法を測って、ご家族の事情まで汲み取ろうとします。
でも、「あと十年ここに住むつもりか、数年で子ども夫婦に譲るのか」「色は今のままがいいのか、思い切って変えたいのか」。こういうことは、お客様が口にしない限り分かりません。
私が見てきた中でも、後から「本当は色を変えたかった」「予算はもう少し出せた」とおっしゃる方は複数いらっしゃいました。その一言を最初に伝えていれば、提案そのものが違っていたはずなんです。
難しく考えなくて大丈夫です。私がよくお勧めしているのは、見積もりを頼む前に、紙一枚に思っていることを書き出しておくことです。
たとえば、この家にあと何年くらい住むつもりか。気になっている場所はどこか(北側のカビ、ベランダの床、雨樋の傾き、なんでも構いません)。色は今のままか、変えたいか。予算は「このくらいまでなら」という目安。それから、工事中に避けたい時期があるかどうか。
きれいにまとめる必要はありません。箇条書きでも、走り書きでもいいんです。ご家族で一度話し合ってから書くと、なお良いと思います。
そして、このメモは来てくれた業者すべてに同じ内容を見せてください。同じ条件で話を聞くからこそ、提案の違いがそのまま業者の考え方の違いとして見えてきます。
冒頭の奥様には、改めて希望を書き出していただき、それを手に二社に再度相談してもらいました。
後日お電話をいただいたとき、声がずいぶん明るくなっていて。「一社はメモを読んで、『それならこの塗料で十分ですね』と、かえって安い案を出してくれたんです」と嬉しそうに話されていました。もう一社はメモにほとんど目を通さず、前回と同じ説明を繰り返したそうです。
お客様の言葉にきちんと耳を傾ける業者かどうか。それは、こういう小さな場面にこそ表れるのだと、私はこの時に改めて感じました。
「塗料のことなんて分からないから、書けることがない」という方もいらっしゃいます。それで構わないんです。
「塗料の違いが分からないので、違いを教えてほしい」「どこまで直すべきか判断がつかないので、優先順位をつけてほしい」。こう書いておくだけでも、業者は説明の仕方を変えてくれます。
家のことを一番よく知っているのは、そこで長く暮らしてきたお客様ご自身です。その思いを言葉にして渡すことが、納得できる塗り替えへのいちばんの近道ではないかと思っています。