前職で外壁塗装の窓口を担当していた頃、山形県のあるお客様から工事の途中でお電話をいただいたことがあります。契約していた業者さんが突然現場に来なくなり、何日も連絡もつかなくなってしまったというんです。慌てて調べてみると、その会社は社会保険に加入しておらず、一人親方に近い形で数人の職人さんに現場を回してもらっていた、実質的にはとても小さな組織でした。
契約した時点では、そんなことは誰も気にしていなかったそうです。金額にも工期にも納得していたし、担当の方の対応も感じが良かった。パンフレットもしっかりした作りでした。ただ、何かあったときに会社として責任を持ち続けられる体力があるかどうかは、契約書の文言や打ち合わせの雰囲気だけではなかなか見えてこないんですよね。私自身、あの時ほど「見えない部分の大切さ」を痛感したことはなかったように思います。
建設業の見積書には、本来「法定福利費」という項目を内訳として明示することが望ましいとされています。これは社会保険料のうち会社が負担する分にあたるもので、下請けに丸投げして安く済ませる構造を減らそうと、業界全体で内訳表示を進めようという動きが以前からありました。
ところが実際の見積書を見せていただくと、この項目が「諸経費」の中にまとめて溶け込んでいたり、そもそも項目自体が見当たらなかったりすることが少なくありません。法定福利費が独立して書かれているかどうかは、その会社が社会保険料をきちんと払いながら人を雇っているかどうかの、ひとつの目安になります。細かい項目ですが、会社の姿勢が一番出るところだと私は思っています。
塗装業界は今、人手不足という課題をずっと抱えています。職人さん一人ひとりを社員として雇い、社会保険料を会社が半分負担しながら育てていく。これはそれなりの体力がないと続けられないことです。だから下請け、孫請けという形で、個人事業主に近い立場で現場に入ってもらう会社が生まれてくるんです。
そのこと自体を悪いとは思いません。腕の良い一人親方の職人さんもたくさん知っています。ただ、社会保険に入っていない会社は、法定福利費というコストを負担していない分、見積もり金額を安く出せてしまう面があります。安さの理由が、腕の良さや工夫ではなく、本来払うべきものを払っていないことだったとしたら、お客様としては複雑な気持ちになるだろうと思うんです。
見積書に法定福利費の記載があるか。建設業許可を持っているか。この二つは、電話一本、あるいは見積書を見返すだけで確認できることです。恥ずかしいことではないので、「社会保険には入っていますか」と聞いてみてください。きちんとした会社であれば、資料を見せてくれるはずですし、逆に曖昧にはぐらかされたときは、少し立ち止まって考えてほしいなと思います。
工事の途中で業者と連絡が取れなくなる。保証書があっても、発行元の会社そのものがなくなってしまえば意味をなさなくなる。そうした事態の背景には、会社としての体力不足が隠れていることが何度もありました。
金額の比較だけでなく、その会社がどれだけ長く事業を続けていけそうか、という視点も持っていただきたいなと、あの時のお客様のことを思い出すたびに感じています。工事の見積もりを比べるとき、多くの方はどうしても総額の数字に目が行きがちです。ですが、その数字の内側にどんなコストが含まれていて、何が省かれているのかまで見てもらえると、後悔は確実に減っていくはずだと私は感じています。
会社を選ぶというのは、単に工事を頼むというだけでなく、その先何年も保証や相談で付き合っていく相手を選ぶことでもあります。法定福利費という項目ひとつからでも、その会社が長く誠実に商売を続けていく姿勢を持っているかどうかが、少しだけ見えてくるように思うんです。